コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

超高齢出産で860gの赤ちゃんを産み死にかけた話

6/22(月)

テレワーク仕事終わった。

17時 血圧計で血圧測った。え、170? この血圧計壊れてない?

夫に測ってもらった。夫は正常で100。

産院に電話する。一応入院の準備してタクシーで来いと言われる。
19時 そのまま入院。
しかし当直の若い女医、何もしない。張り止めなど点滴するのみ。放置された。

 

2020/6/23(火)

10:00 近くの大病院を探してくれたけど、空きがないため何軒かの病院に断られる。
自宅からめっちゃ不便(電車3本乗り継ぎ)な大病院(NICUICUがある)に転院することになった。
11:00 個人病院産婦人科から救急車に乗る

11:20 大病院に到着

11:40 コロナと血液の検査する
12:00 コロナではなかったけど、血漿の値が著しく低いので、
このまま出産して出血した場合、妊婦の命の危険があると説明を受ける


主治医(若めの女性)「いま産みます!


私「えっっっ、まじで!!!???
(まだ26週なんですけど!)


12:20 そのまま仕事で外出中の夫の携帯に電話して、先生から状況を説明してもらう
夫、そのまま仕事を切り上げて病院に向かえば、手術開始にぎりぎり間に合うと先生に伝える


14:00~15:00 手術(緊急帝王切開

真っ裸。すごく明るい手術台で手足を広げる。5人ぐらいに見守られている。

……誰も頼る人がいない。しょうがないから近くの新人看護師の手をぎゅっと掴む。

怖い……。

すぐに麻酔が背中に入って、5秒ぐらいで意識がなくなった。


15:30 ICUにて目覚める 明るい部屋。
カーテンがない。日焼けする。
「カーテン閉めてもらえませんか?」
ベッドの頭を少し上げてくれて日差しが顔にまっすぐ入らないようにしてくれた。
人生で一番死にかけているとき、一番気にしたのは、日に焼けて顔にシミができてしまう、ということだった。

母と夫が15分だけ面会を許された。
母子共に無事と聞かされた。よかった~

 

6/24(水)
昼12:00過ぎ ICUから個室へ移る
初のおっぱいマッサージ
16:00 NICUにいる娘に会った!(車椅子で行った)

860gの生物。保育器の中でたくさんの管につながれて、痛々しい。
正直、カラスの子みたいだなと思った。

夜中0:00~ 腹の傷が痛くて寝れない。最悪。
~2:00 泣きながら夫にLINE電話
03:00~06:00 少しウトウトする

6/25(木)
8:50 職場上司に電話連絡
9:00~10:00 同チーム同僚にLINEと電話で連絡
初めて自分で談話室(ここしか電話しちゃダメ)に必死の思いで歩いて行き、夫にLINE電話する
おっぱいマッサージ
10:30 朝食を1時間半かけて食べ終える
大部屋へ移動する

14:00~ 腹が痛すぎる(殺してくれってぐらい痛い)←術後2~3日目は傷が塞がる動きのため最悪に痛いらしいので注意!
先生を呼ぶ モルヒネなど入れてくれと懇願
17:00~18:00 痛み止めが多少効いた、寝た、と思ったら、
18:00~19:00 夕食
おっぱいマッサージ

 

 6/30 自分は1週間で無事退院できた

 

3か月、娘が退院するまで、隔日で搾乳して病院に持っていった。
腹が痛すぎた。凍らした母乳が重すぎた。
苦行だった。
この3ヶ月間が一番つらかった。

何回話しても、やったことのある人にしかわからない痛みだと思う。

まあ、辛いっていっても、娘も自分も無事なわけで。

人生で一番辛かったのは、20歳のときの実存的な悩みだね。

 

10/17 娘はNICU~GCUから退院(867gで生まれた娘は3ヶ月半入院し、2500gで退院した)