コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

色彩検定2級合格

色彩検定2級の合格通知を
7月29日に受け取った。
9割正答して、合格がわかっていても、
解答用紙のマークがズレていたのでは、
受験地番号を間違えたかも、などと、
合格は最後まで確信できないものだ。
嬉しい。


今年中に1級を合格し、
新年の抱負にも書いたとおり、
その先を目指したい。
 
 


ダイエット成功術を書いたが、
ダイエット成功者として生きるのは辛いものだ。
やはり敗者として行きたいと思う。
成功者が敗者に性向、じゃなかった、成功術を
教授してさしあげる。
そんな偉そうな図式は、ごめんこうむりたい。
 
 
 


   2kg戻りました。
 
 
 


その人なりの自然な適正体重がある。
私のそれは、この程度なのでは、と
思う次第なのである。

 
 


それから、タバコはもちろん吸わないが、
お酒もほとんど飲まない。
ピアスの穴も開けてない(この点では、
ユタ州モルモン教徒である友人と
見解が一致する。)
米食と瞑想を実践。


もう少し玄米食を徹底したい。
身近な例で言えば、草刈民代タミーは
米食を徹底している。
米食&瞑想実践=アヤシイ人、
というイメージは大分覆されてきただろう。
少なくとも東京では。
  
 
 


同じイメージの話では、鬱の番組を
NHKNHK教育で多く特集を組み、
日経新聞ではもう数年(?)毎週
メンタルヘルスについてのコラムが連載されている。
雑誌でも鬱について目にすることが多くなった。


「オーラ」という言葉も日常化した。
大衆にこの言葉が浸透する上で、
TV番組「オーラの泉」や
江原啓之さんが果たした役割はかなり大きいと思う。
物質的な面で満たされてくると、
人間は自然、精神面での満足を考えるようになる。
オーラの泉」の流行も、
先進諸国の精神化という大きな流れの一部だ。
製作側も、
観客にある程度支持されそうだとの読みがあった上で、
番組化を決定したのだろう。
 
 
 


イメージで人を見てはいけないというけれど、
人はわからないものに対しては
とりあえずイメージで憶測する。
変化に対応した行動を取るために、
予測を立てなければいけないわけだ。
ある物事に対するイメージが向上するのは
いいことだと思う。
(しかしながら、私たちは、
 今イメージで見ていると自覚でき、
 また自分のイメージをひとまず保留し、
 目の前にその人が
 立ち現れるのを待つことができる。)
 
 
 


予測といえば、父親の不在と、
ダメ親父の存在と、どちらがいいのか。
PCな回答においては、「どちらもよい。
双方尊重されるべきだ。それが多様性だ」
となる。


PCな回答は置いておいて。
一方のダメ親父について。


反面教師とはダメな存在のための暫定的な称号で、
反面教師は必要悪に過ぎないと思っていた。
だが、反面教師は、必要悪どころか、
実は必要不可欠であり、有り難い存在なのかもしれない。
例えば、フロイトはただの性欲妄想狂だったかもしれないが。
フロイトの理論を叩き台にして今日の心理学は成立した。
現在の心理学はフロイトの理論無しにはありえない。
世の中あんな父親ばかりだったら絶望的なんだけれども、アンナ。
世の中反面教師だらけかもしれないが、
だからといって世界に私[自我]だけだったら発狂するだろう。


「私の姿が惨めでも、
 若い人よ、
 どうかこれを反面教師として使っておくれ」
なんていい言葉なんだ。
 
 
 


動物が未知の世界で行動するにあたって、
どのくらい観念ideaを働かせるのだろうか?


今、『動物感覚』を読んでいる。
かつて無い面白さ。愛しのノンフィクション。