コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

バレエレッスン

「私は男だ」というアイデンティティが私の片隅にある。
どうしても、チュチュみたいなフリルのついたバレエウェアやレオタードを着て、バレエレッスンを受ける気になれない。
そのような「女らしさ」や「女という役割」を強烈に意識したとき、
私の中は、女という役割への憎悪と憤りで一杯になる。
でも、今はもう、わかっている。人形遊びが好きで、機械いじりが特に好きでもなかった私の子供時代は、誰がどう見ても、女の子の子供時代である。男の、ではなく。


20人いる生徒のうち、バレエシューズを履いていないのは、私だけ。
またしても、醜いアヒルの子状態、like 25 years ago.
けれど、大きいのは、知識。
ヨーロッパや、日本のコンテンポラリーダンスのクラスでは、
バレエレッスンも靴下で受けている人が多い。
と知っている。今の私は。
(こんなときも他人の格好が気になる、卑小な我である。)


私は、いつも、靴下でバレエレッスンを受ける。
なぜかって? バレエシューズが嫌いだから。
バレエを上達することが目的ではないから。
何が目的って?
うーん、強いて言うなら、自分を解放することが目的。


あまりにも、女の役割にはまろうとする従順な自分が嫌になったので、
また髪をショートにすることに決めた。
オフィスで、ロングヘアをまとめずにだらだらと長く伸ばして仕事をやっている女性が多いのを見て、嫌になる。
髪の長いしかもただの黒髪ロングだったりやや巻き髪だったりとか、
彼女らはもう保守的な極みって感じがして。
ただでさえ事務なんかやっている自分に嫌気が差しているのに、
今のロングヘアのままでは軽蔑すべき自分である。


(なんだか、男みたいになりたいらしい? 深く考えないでおこう)




人は女に生まれるのではなく、女になるのだ、
とかつて哲学者のボーヴォワールが説いた。
今は、ユニセックスの若者が多い。
多分、女であるとか男であるとか、
こだわらなくてもいい時代なのではなかろうか。


ものすごく女になったとき、女という役割から解放されるのだろうか?


経済的に裕福になったとき、お金という
人を魔界に引き込む貨幣価値から自由になるように。


一生座禅を組んで悟るのも一興だと思うが。
多分それよりもっと大変なのは、一生、物質的な価値を創造し続けることだと思う。
なにしろ、地球は重力がベースの星なのだ。
人に感「動」を与えたり、大きな物体を建てたり、そんなことが評価される星なのだから。
地球的な価値を創造することが、この星に生まれた人の使命ならば、やろうではないか。
(わぁ、理屈っぽい。)


最高なのは、この星がテレパシーで交信できるようになることで。
そうすると、価値は物質ではなく、共感に置かれる。