コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

山から降りると








「山から降りてくると、たくさんの人々が暮らしていて、ゴミがそこらじゅうに転がっていて、人々はマックかなんかを食べていて……とにかく、なんかこう……薄っぺらいのよ。ユタのファミリーで感じたような重厚なものは何もないのよ」
私は一人の男の子に、ユタ州でのホームステイがどんなものだったか、話をする。

家族全員がとても敬虔なモルモン教徒の家庭だった。山の中腹の、空気の薄い高地にその小さな町はあった。その町は、住民のほぼ全員が白人の、生活が教会に根ざした社会だった。家族とともに日曜日に教会に行って、町の新しい住民たちを迎える行事に参加した。(詳細は省くが)私はそのなかで閉鎖性を感じたのである。
1週間以上経つころには、私はここには長く住めないな、と思うようになっていた。アメリカは大好きだけれど、ここには長くは住めないかもしれない。短期で住むのは楽しいけれど、ね。
けれども、そこには確かに、他の町では感じたことのない「何か」があったのかもしれない。そうしたsomething holy何かしら聖であるところから、山を降りて、俗である世界に戻るということ。私はそのことについて深く考えたことはなかった。山の上の町と下の町を、聖と俗に分けて認識したことも、なかった。
けれど、夢のなかの私は、現実の私が全く意識しなかったことを語る・・・。

彼は、何の迷いも躊躇もなく、
「俺 行きたい」
と言う。
彼は行く気になっている。
私たちはほとんど、ユタのファミリーのところを訪問するゲストを彼に決める。そんな感触を得つつ、彼にオリエンテーションをしていく。


彼女と自宅の玄関で、彼を見送りながら、話す。
「彼に決まりじゃない? だって彼、何の迷いもなかったもんね」
と私は言う。
すぐ「行きたい」とか言っちゃって。
彼女も「うん、そうよね」と言う。


目覚めて、私はこの夢がどういうことだったのか皆目わからない。
けれども、価値観の転換が起こったようだと直感する。
違和感を感じる相手は私にとって重要なのだと気づく。


あることに違和を感じるということは、そのことについて繊細にいろいろを知覚するということなのだ。
関係ない相手に対しては、大ざっぱで「どうでもいい」から、違和感をすら感じないのではないか。


4才からとてもやりたかったバレエとの間に深い溝を感じてきた。それは、やはりバレエにものすごく関心があるからでは?
日本に違和を感じてきた。それも、日本とは切っても切れない関係があるから?(今は前ほど違和感はない)


小さい頃から、自分の愛するものとの間に、溝を感じてきたようだ。くりかえし、くりかえし。
ようやく、母との間にも、ダンスとの間にも、深い溝を感じなくなった。20年以上かけて。