コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

黒澤明監督特集

でも、今日の演劇よりも、昨日のスマステーションで黒澤明監督を特集していて、
番組の最後のほうで、晩年の黒澤明監督がインタビューを受け話しているシーンがあって、
それに一番衝撃を受けた。今年衝撃を受けたNo.3のうちのひとつに入る。


『映画』を撮りたい。
美しい映画を撮りたい。
美しい映画を観て、多くの人が同じように美しいと感じる。
映画を観て、人は人生を考える。
それが『映画』でしょう。『映画』を、撮りたい。

そのようなことを言われていた。ものすごい省略っぷりですが。
いつものことだが、自分の感動した部分しか憶えてない。きわめて個人的な感想である。
正確に伝えられずごめんよ。


彼は、「数字を出す」人にはあたりまえなのかもしれないが、独我論を超えているのだなあと思った。
ものすごい完璧主義の人だったらしい。指示した「900人」のエキストラをスタッフが揃えきらず、やっとのことで「700人」のエキストラを集めてきたときには、一言で、撮影中止にしたとか。
自分のこだわりを完全に押し通し、美しい絵を作ることで、多くの人とその美しさを共感し合えると確信している。
実際、資金が底をついても、それまで撮影された部分を東映の上部の人たちに見せたら、あまりの面白さに、即座に金が下りたとか。












監督のメッセージに、打たれる。












誰かに何かを伝えたいと思ったら、独我論を超えなきゃならない。
で、独我論を超えてない小説家の小説は、何かもやもやしてて、霧がかった世界で、どこまで行っても、どこを切っても作者一人しか出てこないような茫漠とした世界が描かれちゃうと思う。
多分、今の、というか今までの自分もそうだけど。
他者が出てこない小説って……。