コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

「七ヶ国語を話す、日常がある。」

ヒッポファミリークラブ25周年記念フォーラム「七ヶ国語を話す、日常がある。」
東京国際フォーラム ホールA 13:30〜16:00
http://www.lexhippo.gr.jp/eventinfo/forum2006/


①ヒッポファミリークラブを通したホームステイ交流の報告会
韓国にホームステイしたある日本人おやじの報告:
 家族とは、いろいろ話した。戦争についても話した。ホストファミリーのおじいちゃんが「あなたが悪いのではない、歴史が悪いんだよ」と言ってくれたとき、涙が流れた。


②南 繁行   赤瀬川 原平   中村 桂子   丸山 瑛一  の各氏による
「ことばと人間」についてのパネルディスカッション


●丸山氏
英語がすべてであるという考え方は、「英語帝国主義」とでも呼ぶもの。それは一元論である。ヒッポファミリークラブの多言語習得活動は、多元論である。
●中村氏(生命科学
最新の生物学の研究によれば、テナガザル(人間にもっとも近い種のうちのいちばん遠い種)は、二匹でいるときにメロディでデュエットするようになる。さらに、一人でいるときにもソロを唄うようになる。
テナガザルの行動から、人間の言葉の生まれるプロセスを、類推することができる。
この研究結果はまだ認められたわけではないが、私はこの研究はとても面白いと思う。と中村氏は言う。
言葉は、コミュニケーションの道具であるが、それだけではない。人間は、言葉を使って、一人で思考する。遠くの地や、遠い昔や、抽象的なことに、思いを馳せる。わからない他人について、想像力を働かせることができる。
鳥さんは、鳥さん同士でピーチクパーチク言ってコミュニケーションを取るかもしれないが、一人のときに言葉を使って思考するのは人間だけだ。



meowow:
①おやじの話を聞き、まるで私もその場にいるような気がして、感動した。人との出会いとは、このようなことだ。感動は、忘れずに、からだのどこかに残る。

②−丸
正直言って、私のあたまの中は、まだかなり「英語帝国主義」であると思う。英語しかとりえがない(なかった?)から、たぶん「英語が話せる」ということにしがみついている。本当はシンガポール人の話すシングリッシュ(「OKラー」などと言う、結構可愛いしゃべり方)などもしごくまっとうな英語だと思うのだが、実際の自分はやはりアメリカの様々な英語やオーストラリアの英語が好きである。ロシア語や韓国語を話すのも好きなのだが、英語が好きでたまらず、英語中心の生活だ。時代遅れな……。

②−中
言葉に関しては、言語学よりもコミュニケーション論・比較文化論に興味がある。

ある翻訳者が言った。「辞書を使って100%正答すると合格する試験」が好きなのが翻訳者向きの人。「辞書を使わないで70%正答すると合格する試験」が好きなのが通訳者向きの人。うぇ〜、私は後者である。大学入試は、細かく和訳させる大学は受けず、英文のまま大意を理解させる試験のところだけ受験した。家庭教師をしたときも、生徒に文法のこまかいことまで説明するのが面倒だった。

そんな私でも、言葉の役割について考え出すと(「初めにロゴスありき」など)、言語学的なことも考えざるをえない。中村さんの話はとても面白かった。引き出しが一つ増えた。