コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

『結婚』を創るパートナー

(略)どうやら辿りついたのは
『結婚』というものはない
という結論です。


わたしが苦手だと思っていた「結婚」のイメージは
「結婚そのもの」が持っている属性ではなく
「そういう結婚」でしかなかった。


こちらで既婚の方々のいろんな結婚話を伺っていると
どれ一つとして「同じ結婚」なんてない。
つまり「結婚」は創るもの
「結婚というもの」に自分を委ねるものではないなぁ、
ということです。


そう思えたので気楽になりました。
「わたしは、わたしのしたい生活をすればいい。
そこに結婚という形も含まれるであろう」

なので「未婚か結婚か」という「選択肢」はないんだと思います。
自分に具合のいい結婚を一緒に創っていける相手かどうか
ということがポイントなんではないかなー、と。


恋のビタミ marimariさん


この方は事実婚をされている方で。
ラディカルな意見は、
火照った頭を冷やしてくれる。
すとんと腑に落ちるものがある。


男女の性役割に憤りを感じることがある。
例えば、
現代日本社会において、
結婚後の姓を男性の姓に変える人(女性)が大半なこと。


だけれども、型にはまりやすい、
若しくは型を志向するのは、
他ならぬ私自身なのだ。


そうして、
自分の中の
私(わたくし)を縛るものから
自由でありたいと、
もがく。


一生、
私の中にある対立項を感じながら
生きるんだろう。




  ☆ ☆ ☆



私には、物事を秩序立ててまとめたい欲求がある。

では、馬鹿と利巧のどっちが複雑なことを考えているかと言うと、それは馬鹿の方が複雑なことを考えている。
(略)
なんとなれば利巧は本来不可思議なる天地間のことを秩序立てて説明がつくように理解するが、馬鹿はそれをまるごと頭の中にぶちこんで考えるからで、
(略)
この小説は(略)利巧には分からない複雑で奥行きのある人間のすること考えることを描いて成功していると思った。


町田康(作家、パンク歌手) 2007年1月21日Y新聞朝刊 『蝶か蛾か』蝶か蛾か書評


これとは別に、

生き延びる人間とは、
頭の良い奴でも、力の強い奴でもなく、変化に適応する奴なのだ。

とはよく言われる(ダーウィンの進化論)。
目の覚める思いだ。


頭の良さと、
人生の知恵は、
等価ではないのだ。