コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

須藤元気「『勝ち負け』は経験でしかない、プロセスでしかない」

須藤元気氏(元総合格闘家、現在は作家)がJ-Waveで語った。(新刊の宣伝で。)
勝っても負けても、それをどう見るか、その人の視点が重要。
身体を鍛えたら、精神的にも強くなるかと思った。
身体を鍛えた。鍛えた。鍛えた。(勝った。)
でも、不安や葛藤はまだある。


私も思った。
外見を変えた。みんなが可愛いと言ってくれる。
可愛がってくれる。嬉しい。心地よい。
でも、まだ、泣いてばかりだ。パニックになる。
みんなに可愛がられるからって、自分を愛せるわけじゃない。
自分の深いところで、自分を信じられなければ。


いい会社に入る。
それは、勝ち負けで言えば、
世間の言葉では、「勝った」ということかもしれない。
でも、それで、いい気になる。
自惚れる。
全てを持っている気になる。
何か違う。


と○ねるず(○明)が言うように、
成功しているときこそ、自惚れずに、
研鑽しないと、
いつ、足を掬われるか、わからない。


須藤元気が言うように、
負けたほうが、次の大きな勝ちにつながることがある。


結構、勝ち負けにこだわってるな。
負けず嫌いだなあ。
大体の場合、負けるのが嫌だから、試合から降りているのだけど。


  ☆ ☆ ☆


「格好いい」のが「良いダンス」か。
違うと思う。
陳腐な例になってしまうし、もっといい例がないのかと模索する。
だが、最近の例で言うと。
身体に障害を持つ男性が、魂をこめて踊ったとき、
容姿端麗の女性が「ジャズっぽく」「コンテっぽく」
小さくまとめて踊る姿より、格段に、琴線に触れる。
涙がとまらなくなってしまう。
ああ、すごい陳腐な例。


人が、妥当に実現可能と思われる可能性を超え、
挑戦する姿を目の当たりにするとき、
私は感動するのだろうか。


ネコは、片目がつぶれ、両目に目ヤニがあり、
鼻に黒ブチがある、いわゆる「ブスネコ」「ニャジラ」でも、
愛しいと思える。
どうして、人間に対しては、それができないのだろう。