コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

自信を持つ


自信を持つって何だろう?


客商売を始めた頃から、
自分をバカっぽく見せるようになった。
自信がないフリをするようになった。


それまでの正論ばかり振りかざす頭の切れる自分についてきてくれる人たちは、結構いた。
その一方で、限界を感じた。
自分のプライド、虚栄心に振り回されていた。


ということもあったし。
上から目線で物を言うことに、一般peopleはついてきてくれない、
と感じた。


外資系の人たちと話すときは、
自分を賢く見せることは有効だけれど。


パン屋で商売するときには、
賢く見えることは何の得にもならず。
客との間に壁を作ってしまうだけだった。


相手に合わせるということを学んだ。
学んだ、というより、やってみた。


相手を持ち上げることも、学んだ。
自分が下手に出ることで、私を信頼してもらう、ということもやってみた。
意外と、皆、持ち上げられると嬉しいものだ。


2ヶ月前に、気づいたのは、
私はそれが好きではない。ということだった。
本音を言ってほしい。
建前ばかりで要領よく振舞おうとする人が多い世の中で、
本音を言ってくれる人は貴重だ。


不器用な人は、信頼できる。
舌足らずな人は、信用できる。


   ☆ ☆ ☆


弱音を吐く人が嫌いで、意思と仮面で生きてきた。


   ☆ ☆ ☆


最近、自分のことを客観的に振り返ってみて、
この人、大変だろうな、と思った。
振幅が大きすぎる。
井戸の底を永遠に降りていくかのような自分と、
「アクティブだね」とよく言われる明るく天真爛漫な自分と。
安定している人は、淡々と穏やかに安定している。
もちろんそう見えているだけで、内では葛藤があったりする。
だけれども。
振れ幅を抑えていられる何かがある。理性であったりするけれど。
一回壊れた人は、振れ幅を抑えることが、自力ではなかなか難しい。
理性を手放してしまった人なのであるから。
自分が次の瞬間にどうなるかは、全く予測不能だ。


今の職場で、この10年間で初めて、
「安定しているよね」
と評された。


矜持。


生きてきて、今まで、
いろいろなパーソナリティを体験できた。
いろいろな性格の人のことがわかるようになった気がする。


それでも、『自分』の共感力は、むしろ無い方だと思う。


色々な物事に共鳴しどうしようもなく苦しくなってしまう私がいる一方で、
命名された小我のわたくしは、かなり世界に対してdetachしている。
地球に対する愛着はあるが、人間に対する愛着がない。
地球が苦しんでいるのだから、人間はむしろ絶滅してもいいと思う。
オゾンホールを生み、森林破壊するのは人間。
そして、人間が大好きと思う瞬間もある。


   ☆ ☆ ☆


こうやって大っぴらに自分のことを語る。
私とどこかで会ったことはあるけれど、私と話したことのない人が、
これを読んで(くれて)いる。
それは、
1) セキュリティ、
2) メディア戦略、
の観点から考えると、途轍もなく馬鹿げたことなのだろう。
それでも、故岡本太郎氏の周囲の誰かが言った
表現者は、銀座の道端に裸で寝転がることができなければ」
という言葉に同意したい。
世界の全ての人に裸の私を見てほしい。この衝動を抑えることはできない。
私の場合、メディアを通して、ということであって、
実際にストリップすることはできなかった。
ダンサーではなくライターであるから。


ときどき、この馬鹿げた行為に恐怖を感じて、
こんなことは一切やめようと思うのだが。
(世界が私の中に雪崩れこむ凄まじい恐怖を覚える。)


もう少しスマートに行動できたらなあ、と思う。
相変わらず、蓋の開け閉めが、うまく出来ない。



   ☆ ☆ ☆



何で、世の中の人はこんなに自信がなさそうなんだろう、と思った。
でも、世の中の人とつきあうには、合わせなくてはならない。
テレビにも興味がないけれど、興味を持ってみた。
人のことを羨ましいと思ったことは久しくなかったけれど、
「羨ましい」と言ってみた。
「うらやましい〜」。
別に人のことなんかどうでもよかったにも関わらず。
(世の中の多くの人は、他者を羨むことで、他者と関わっているように見えた。)


大体において、人のことに関心がなく、自分が満足しさえすればいい。
ありえないぐらいマイペースな性格だ。
君のものは、俺のもの。なジャイアン的性格。
でも、多分、その性格が、過度に自己完結している。
あえて一般的な形容詞でいえば、「自閉的」な性格なのだ。
この用語は臨床上の「自閉症」とは全く関係がないが。
風穴が必要だ。
だから、明るく天真爛漫な私が生まれたのだと思う。
社交的な私が必要だった。
でないと、死ぬしかない。


   ☆ ☆ ☆


自信って何だ。
私は、醜い自分には、自信を持っているかもしれない。
それは、いいことだと思う。
ちょっと前まで、美しい自分にしか、自信が持てなかった。