コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

資本主義経済からどう降りるか?〜仕事は自己実現ではない?〜

吉本ばなな氏が、あるエッセイで、
「仕事は自己実現ではない。仕事とは、社会に才能を役立てるものだ」というようなことを言っていた。


最近薄々、仕事は自己実現ではない、のではなかろうか
自己実現と言えるのは、結婚退職の路が残されている女性であり。
 日本のほぼ全ての男性諸氏、人口の大半にとって、仕事の主要な意味とは生活の糧ではないか)、
と思っていただけに、
今まで目に入らなかった文言が目に留まったようだ。

「仕事での自己実現」が可能な人間は一握りです。煽り言葉を真に受ければ、社会に大量の失意と落胆が生まれます。それだと社会不安になるので、資本は別の道を用意します。「仕事での自己実現」の代わりに「消費での自己実現」を目指す道です。ブランド物やハイテク品を買わないと幸せになれないと誘導し、システムに組み込むわけです。
「仕事での自己実現」をする少数のエリートと「消費での自己実現」を目指す多数のノンエリート(宮台真司)


「好きなことを仕事にする」という自己啓発セミナー的な煽り文句がある。


素直に、好きなことを追求し、
パン屋や、ダンサーや、本屋をやっていたら、薄給である。
希望するアメリカの大学に進学する教育費(もしくは子供の養育費)が貯められない、と思う。

ではどうすればいいか。「仕事での自己実現」からも「消費での自己実現」からも降りて、「仕事外での非消費主義的な自己実現」を目指すことです。(同上)


どうすれば、この"仕組まれた"資本主義経済からうまく"降り"られるんだろうか?
どうやれば、"上手く"スローライフを送ることができるんだろうか?
(翻訳する能力があるのに、パン屋で楽しく働くのは、自己欺瞞ではないのか?)


ダンサーとして働き、クラスで教えをしても、お金がないから、親のスネかじって、親と一緒に住む。
ダンサーには非常によくあるパターンである。


このような事態は、できれば避けたい。
避けたいから、今OLしているわけだ。
OLとして、資本主義のシステムに加担する以上、
上手く機能したい(「(資本主義的なコンテクストで?)成功」したい)、と願ってしまうのは、
当然の気持ちの流れではないだろうか。


仕事は仕事で適当に(わりにこなす感じでまあまあ)やり、趣味を充実する、のは、少し違う気がする。
何といっても、一日の1/3以上を、仕事に費やすわけだ。
「私の1/3がテキトー」である、という考え方は、好きになれん。


もう少し考えてみる。