コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

アスペルガー症候群

かかりつけ医に、自分はアスペルガー症候群の範囲(自閉症スペクトラム)に
入っているのか、訊ねた。


答えは、"No"。


先生の見解にしか過ぎないが、
長年のつきあいの先生の見立ては、かなりprobable蓋然性が高い。


と、いうことは。


私は、人の表情から感情が読めない、のではない。


空気が読めない、というより、
空気を読んでいない、
読もうとしてない、
ということになる。わはは


と、いうことは。


「空気が読めない」のは、単なるコンプレックス。


「察しろ」と思うなら「言え」と思う。
なので、
わりとオープンにしゃべっていると楽だ。
(でもいろんな友達がいるし、いろんなつきあいかたをしている方だと思う)


でも、「察する」文化は、世界中の多くに存在することに思いを馳せれば。
彼らを尊重したほうがよい。


郷に入れば郷に従え。
適応力のある人がいちばん生命力が高いのだな。


 ☆ ☆ ☆


多分、何故こんなに腹が立つのかといえば、
父に対して。
父が「察し」を押しつける。
私は、「無理」。
突然怒り出すのやめて。
あんたが何で怒るのか、10通り全部シミュレーションするの、無理だから。


最近は、彼がどうして怒るのか、わりと理不尽でないことが、判明した。
怒っているという気持ちは言わないし、
変なことに対して怒るが、
それはいちゃもんであり。
実際の怒りは、きわめてシンプルな発動のしかただったのだ。
話してる最中に口を挟まれた、とか。


(察しを「強要する」)日本文化への怒りは、
小学生時代の教師への怒りでもあり、
父親への怒りでもある。


I forgive you all...
なのだけれども。


 ☆


どういったラべルを自分に貼るのであれ、
貼らないのであれ、
生きづらさを抱えて生きる。