コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

自転車に何回も乗って、転んで、やっと乗れるようになる。
それと同様に、
人の愛し方というのも、
あるいは一生かかって、だんだんうまく表現できるようになるのかな。


ほとんどの人たちは、不器用だし。
器用な、と呼ばれる人たちは、たまたま時代の求めている基準に合致したに過ぎない(と思った)。


私にとって、愛とは、父がしてくれるような、物を与えることではなく、
母がしてくれたような、時間を共有してくれること。
そんな気がしている。


無条件の愛は、人間である限り、できない。
持ちつ持たれつ、と思っていたほうが、楽だと思う。