コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

2010-11-01から1日間の記事一覧

そうして、いたずらされているのは、私なのだ。 けど、いたずらしているのも、私なのだ。 と、いうことは、ナイフを手から離せばいい。 痛み、だけが、残る。 共に、傷んでいる、人たち。 深い、愛が湧き出してくる。 少なくとも、抽象的には。 人類への。 …

もし親友に死なれたら、非常に路頭に迷う気がするので、 私は親友のために、死ぬのをやめようと思う。

言葉への信頼が、私の一番の武器であるような気がしている。 武器って、不気味だな。 世界と、闘わなきゃいけないと、ずっと思ってる。 「どうやってか、闘わないでいられる方法はないのか」 10年前から、考えている。 答えは出ない。 世界平和を望んでも、…

何も解決できることはなく、 ただ、歩くことでしか、見えてこないのが、人生なのか。

自転車に何回も乗って、転んで、やっと乗れるようになる。 それと同様に、 人の愛し方というのも、 あるいは一生かかって、だんだんうまく表現できるようになるのかな。 ほとんどの人たちは、不器用だし。 器用な、と呼ばれる人たちは、たまたま時代の求めて…

多くの人が、アイデア、と実行の、あいだ、に、距離を、持つ。 それは、健康なことだ。 殺したいと衝動し、殺すわけではない。 思ったことを全部話し、私が丸裸になる。 そうではなく、自分の秘密を持ったとき、初めて、 自我ができるのかもしれない。

妄想と知覚と痛みについて

もし狂気と呼ばれるものがないとする。 それはただのラベルだと、考えてみよう。 すると、教室で奇声を発する人はおかしくない。 (発したいから発しているのであれば、おかしくない。 また、発したくなくても発してしまうのであれば、 脳の機制が発しない人…