コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

戦うということについて

ガンジーに代表される『非暴力』が良いことだ


と思ってきた。



私は基本的にリベラルだし、ニューエイジ的なものの考えに染まってしまっている。


なので、デーヴ・グロスマンのような共和党的な、
そして「自分にとって大切なもの(自分、家族、国家)が殺されかけたら、
必ず目の前の敵を殺す」
という決断は持ち併せていない。


グロスマンは退役軍人なので、
戦時に、「何が何でも殺す」という心構えを持っていないと闘えなかったと思う。


グロスマンの考えかたは、私の生きかたとあまりに相反するので、
逆に非常に惹きつけられるものがある。


(そして、多分、ここが重要なのだが、
私のなかには殺人鬼的な部分があるので、
そこは意識的に整合し、昇華する必要がある。)


 ☆


『「戦争」の心理学』は、
10年前の私は、怖くて読めなかっただろうけど、
今は、リベラルでニューエイジ仏教な自分として、わりと自己確立してきたから、
精神的にほとんど揺らがずに
読み進めることができるのだろう。


『「戦争」の心理学』で、
私に足りないものを補うことができる。気がする。


私はとにかく自分はいつでも死んでいい。
人から傷つけられたら、死にたいと思う。
嫌なことがあったら、自分を傷つけて、対応する。


でも、そうではなく、人を殴ることもありなのだな。
殴るって選択肢は私にはなかった。


 ☆


『「戦争」の心理学』に、
戦争から帰ってきた軍人や、突入から帰ってきた警察官(SWATメンバー)が、
眠れないとき、
ボクシングのサンドバッグを叩いて、アドレナリンを放出し終わると、
寝られる。
と書いてあった。


アドレナリンは中途半端に出すと、身体が興奮状態のままなので、眠れなくなる。
だが、体内のアドレナリンを放出し終わると、身体は本能的に眠ってしまうらしい。
(戦闘中に、過度の疲れにより、土豪の中で、兵隊は眠りこんでしまう。)


私は、大学時代から、筋金入りの不眠症なので、
この方法はぜひ使いたい、
と思い。
ボクシングをやってみた。(単純だなー)


 ☆


ボクシングをやってみて、
人を合法的に殴れるってなんて素晴らしい方法を人間は編み出したんだ、
と思った。


スペインの闘牛において、
闘牛をすることでしか
生きられない男がいるのと同様に。