コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

男性性を超えて

  
世界の情報の波が私の中になだれこんできて、
私がなくなってしまう恐怖を高校生の頃に感じた。
私は大洪水に溺れて消え去ってしまう。
多分小さい頃にプールで溺れかけた記憶が基になった、
ある種の考えだった。
つまり、「強迫観念」と呼ばれるもの。


高校生の頃に分裂病(今は統合失調症)を発病する人は多い。
多分、私のあの経験は、青年期初期の多感な時期に青年が感じる、
狂気の一歩手前の状態だったと思う。
私がなくなってしまうので、
私は何かにしがみつかなければならなかった。
私はそのとき、アメリカにしがみつこうとしたのだと思う。
「私はアメリカにいなければならない、
 さもないと生きていけない(死んでしまう)」
この考えは、ずいぶんと強迫的である。


私には、思考−言葉に対する絶対的な信仰があった。
理性を畏れ、敬い、恐怖し、同一化しようとした。
恐怖したのは、思考し言葉で私を規定することで、
私の中の整理のつかない情動を、ずっと抑圧してきたためだ。


治癒の末期には、
文章において言葉で断定する度に、
夢の中で男が恐ろしい地鳴りのような唸り声をあげ、
60階ビルの上から猛スピードで突進してきたりした、
一番下にいる私に向かって。


私は、言葉に対する信仰を諦めざるを得なかった。
どう考えても、私のそれは、無理があるものだった。
私はむしろ、曖昧な、言葉には決して侵されない、
空気のような、または真空の、空間に漂っている必要があった。


私は多分、父や小学校の男性教師との論争に負けて以来、
強者となるためには、
論理や言葉を身につけなければならないと感じてきた。
「厳しい現実」に勝ち残るため、
「論理的な私」という戦略を獲得したのだ。


5月に夢を見た。
Sくんが
明るい昼の体育館で大手を振って(日本語がおかしいけど)
鼻歌を唄ったり、
ちょっとからだを楽しそうに揺すったりしながら、
笑いながら向こうに向かって歩いている。


目が覚めて、私の中の男性性への恐怖は消えたと感じた。
Sくんは中学校において地域で一番の筋金入りのワルであった。
見るからに、凶暴性がにじみ出るような男の子だった。
恐喝は当たり前、裏では何をやっていたのだろう。
クラスでは弱い男の子を蹴っていじめていた。


男性性への恐怖が消え、男性性への憧れも、
男性的な武器を身に着けることへの強迫観念も消えたとき、
女性の自分に気がつくのではなく、
バイセクシャルの自分を認めることができた。
何だか、面白い。


事実は、具体性の中にある。
「男性性」「女性性」は観念でしかない。
事実は人間のちっぽけな観念を超えた、
具体性の中にある。
このスープのじゃがいもの煮込み具合が絶妙とか、
遊歩道でしゃがんで隅っこのヒメジオンに蜂が留まっていたとか、
目の前の愛する人の顔が笑っちゃうほどユーモラスだとか。
それこそが愛すべきものだ。