コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

『自由への長い道』ネルソン・マンデラ

自由への長い道(下) ネルソン・マンデラ自伝

その日、投票所に向かった南アフリカ人たちの姿は、わたしの胸に焼きついている。しんぼう強い人々が、田舎道に、街の通りに、長い列を作った。晴れて投票できる日を半世紀も待っていた老婦人たちは、はじめて人間らしい思いをしたと言っていた。白人の男女は、やっと自由な国に住んでいると胸を張れると語った。投票期間中、国じゅうが浮き浮きとしていた。


1994年に英米で出版された当時、大ベストセラーになったネルソン・マンデラ南アフリカ共和国大統領の自伝。なぜか英国にはマンデラ氏を敬愛する人が多いようだ。英国人に薦められ、読み始めたマンデラ氏の自伝、800頁余をやっと読了。長かった。彼の投獄生活30年も長かった。(下)巻の最後、南アの黒人たちが遂に参政権を手に取り、投票のために、投票所に向かい、長い列を成すシーンでは、思わずマンデラと感激し泣いていた。


ネルソン・マンデラ氏は1993年にノーベル平和賞を受賞した。1994年に南ア史上初の全人種参加選挙が実施され、ANC(アフリカ民族会議)が勝利マンデラ氏は大統領に就任。
大学在学中の1944年にANCに入党、反アパルトヘイト運動に取組む。後、その仲間たちと、青年同盟、軍事組織ウムコント・ウェ・シズウェ(MK。民族の槍)を作り、司令官となる。1964年に国家反逆罪終身刑となり、以後1990年まで収監される。ネルソン・マンデラ
"Long Walk to Freedom" Description 



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★誰にも同情を受けない、現代日本で言えば日本赤軍のような、ならず者だったマンデラ。母国では追われ、身を隠しながら生活する日々。だが、徐々に国連など世論の力を味方につけ、ついに陽の当たる場所に立つ。アフリカ人の自由のため、マンデラがやってきたことは変わらない。けれど、ノーベル平和賞国連・アメリカがサポートにつくかで、彼の国における立場、影の長さが決まってしまう。共産党(西側から見た悪の権化)と共謀した可能性を持つならず者にノーベル平和賞を授与すると決定した人たちもなかなかな人たちや。権威って怖い。


国(政府)を批判しても始まらず、私たちが作っていくしかないんだなあ。


★国家政策を作る立場に立てなかったら、作れるように、相手を改宗させる。敵はこれから改宗させることができるかもしれない素材。改宗のためには自分を信頼してもらう必要がある。そのために一人一人と個人的に仲良くする。というのがマンデラの政治的手法。


★辛い状況に陥ったら、「これは敵が仕組んだ罠に違いない」と思うこと。敵と敵の狙いを明らかにし、敵の狙い通りに行動しないようにする。敵の戦略には自分の戦略を策定し、対抗する。実行する。闘うのだ。
または、試験勉強をする。(仲間から今頃取得する意味がないと言われても)法学士号取得のための通信教育、弁護士事務所開設のための勉強。勉強すると余計なことを考えない。余計なことを考えなければ意気消沈する暇もない。というのがマンデラの困難脱出法。