コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

普通になる努力

普通になろうと、爪の先までなろうと、してきた気がする。


自分の中に、アーティストとプロデューサーとが必要だ。
冷静に状況を吟味し、どこにGOサインを出すか。



広く視野を保とうとする。たいてい、欲望はおきざりになる。
広く、広く、広く、俯瞰を試みる。
私は(俯瞰の意図以外に)消えさって、あたしが何をしたかったのか、忘れてしまう。
あたしは、何をしにここにいるの?


  ☆ ☆ ☆


白眼視される恐れ。平たく言えば、『いじめられないように』。これが大いなるモチベーション。


「面白い」と言われる人、例えばコメディアンは、どこまで逸脱したら「ユーモア」の範囲なのか、毎秒、計算する。


私は、ユーモアのセンスは、たぶん、吉本隆明さん並に(と言ったら失礼か)、無く。
私の動作と態度が狂気につながることを恐れ、結局、固まり。
徹頭徹尾、真面目な優等生のフリをする。


いろいろな防衛機制がある。
私のそれは、ポーカーフェイス。真面目な振り。
理性が硬く、壊れ、ダンサーが必要だ。


みんな、オカシなところがあるはずなのに、
隠して、生きてる。
普通のフリをして、暮らしてる。銀行からお金を借り。


どれだけ自分を信じられるか。多分、偉業はそこに帰結する。
どれだけ愛されたかに関わらず、自己信頼を持つ人と持たない人がいる。


自分の持つカードがどんなに不利でも
(実は、生まれてきた人たちの持つカードは皆不利なのだ)、
「それでも」自分は、やろう、やっていく、と決めたとき、
人は大人と呼ばれるんだろう。


   ☆ ☆ ☆


命題1
普通は存在しない

1−1 何を恐れるか
1−2 輪の外に置かれる
1−3 同調


命題2
破壊衝動

1−1 破壊したい
1−2 創造エネルギー


止揚
バランス

3−1 空
3−2 中庸
3−3 あるがまま(虚無と異和を抱えて生きるのが人間)