コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

自己イメージ

よくイメージする自己があり、それが人からの称賛がベースになっているものだとわかった。
そういった目標イメージは、誤ったとはいわないまでも、、
不適切な、というか、適応しにくいイメージだということに、気づいた。


自己が、相手の評価に依存してるのだ。


たとえば、業界の一廉の人物として名を残すこと、だったり、
多くの人に拍手を送られたり、といったことだ。


(どんだけ、寂しがりや、なのか、と今更気づく)


けど、その自己イメージを別にして、
一人のときの自己イメージ、というのもある。


物書きしていたり(紙が親友)
猫と一緒にいたり(ネコが恋人)
崖の上に立ってたり(自然が友達)


といったイメージ。


(どんだけ、寂しがりや、なのか、と今更気づく)


あと、一人でいて一人でないときのイメージは、


宇宙である


私。


宇宙 = 私
私 = 宇宙 = 全て = 全てと一体 = 安心 


結局でも、誰かにとって、何かが、絶対的な拠り所なのでは、と思う。
自分かもしれないし、
母ちゃんかもしれないし、
恩師かもしれないし、
宇宙かもしれないし、
イヌかもしれないが。


愛してるよ、みんな(と口で言うは容易く、行うは難し。)






(大体、愛しかたや生きかたが器用な人なんていないと思うけれども)