コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

3 生理的感覚の変化について

家族が、性格(感覚)の違いによる不和を、
宗教的もしくはスピリチュアルな解脱によって、超えようとしている気がする。


他者がいて初めて成立する、外的、関係的、本能的問題を、
内的、精神論で片付けることができるのだろうか?


それは、私には、一面では、自己欺瞞のように見える。
でも、他方では、それは周りの誰もが傷つかない生き方を、
全人生を賭し、模索しているようにも見える。


私はそれは、無理だと思う、それは、伝えた。
長年経てきた生理的な嫌悪感を、自分の見方を変えるだけで、
不快を快にできるのか、不快を0にできるのか。否。
でも、その人がやりたいようにやるしかない。
その人の人生だから。


多分、感覚には、
変わりゆく感覚と、
代わらない感覚と、
2種類があるのだろうと思う。