コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

愛のある、愛のない、ブラックホールでない宇宙について

暇な人は恋愛についてばかり考えてしまうらしいので、
もう少し別のものに熱中しようかと思う。


社会人生活を始めて、まず始めたチャレンジが、
「男女問わず皆と仲良くなること」
結果として、これは最近はまあできるようになった気がする。


ただ、同時に恋愛依存症になった。
人間関係依存症だね。


相手に依存する性格は若干マシになったとはいえ、
まだかなり依存症である。


(そもそも人生からダンスがなくなったら灰色で、
 生きる実感がない。
 といった感じで、人生全体をダンスに依存する。)


10年間続けたヒューマン・コミュニケーションスキル磨きを
止めるのはもったいない。
別の方向にひねればいいか。
(例えばリーダーシップ磨きとか? 
 あるいは80歳のとき6歳の子どもに尊敬されるおばあちゃんになるとか?
 わからないけれど)


  ☆  ☆


夜の生活というか、夜は苦手な昼型人間なので、
昼の生活だけど、
いろんな恋愛の失敗を経て、


(i) 愛がないときのアクセス先がブラックホールな件


愛があると事の後が、なんだろうね、
愛がないときは事の後が、ブラックだ、空虚である。


(愛があると、事後、彼のあることないことを
 仮に気に病むことがあったとしても、
 あの、どうしようもない、全てを呑み込む、
 世界の終わりのような虚無感を感じることはない)



(ii) 多層レイヤーのエネルギー交換


心のつながりがあると、
多少それがうまく行かなくても、
試行錯誤して関係性(友情のようなもの)を続けようとする。


心のつながりが十分にない場合、
ある程度の損得勘定においてメリットが少ないと、
人間関係が廃れ、消失していく。


(iii) エネルギー交換の、質が生む生命力(バイタリティ)について


最終的に、使い捨てのような人間関係を経験し続けると、
人生と人間がスレていく。


一人一人との人間関係を積み重ねると、
その人たちとのエネルギーの交換が常に行われ、
それによって生かされるのが
今朝、十分に感じられた。



(iv) エネルギーの入力と、入力量の増大について


20歳ちょっと前だったと思うが、
実家で、世界中の人びとが私の中に入りこみ、
私が崩壊する恐怖を味わった。


なかなか、自分の中にエネルギーが入ってきてほしいとは願えない。
なぜなら世の中邪気ばかりな気がするから。
結果、よくエネルギー不足(無気力)に陥っていた。


ただ、邪気も入ってきてよい。
身体をエネルギーを通し、左から右へ、流していく。
それが存分にできれば、
他人の悪意をも、自分の力にできる。


私のエネルギーを入力する場所を、
必要以上に開放する(チャラい、manicな感じ)のではなく、
ただ、入力することができるようになってきた気がする。


それは、自分にとって
何が大切か優先順位をつけることと、



世界が崩壊することをただ恐れるだけでなく、
世界が崩壊しないようにするには、どう行動すれば、それが可能か、
と一歩進んで考えるようになった。