コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

はったりの芸術(アート)x身の丈で生きる


営業とは最高の芸術の一つであるそうだ。


自分の価値を大きく見せるのも、
その芸術のうちの一つであろうか。


どのくらい自分を大きく見せたほうがいいのか?


なんで、多くの人は、いつも自分がいかに貢献したか、
アピールするのだろう。


私には、自慢に聞こえる。


私は自慢話は苦手である。
なぜなら、自分ができる返し方は「すごいですね」しかない。
<私は優れたあなたより下ですよ>、しかない。
対等な「We 私たち」の対話ができにくいからである。


私は、非常に虚栄心が強いため、
意識して、身の丈で生きないと、自己欺瞞が激しかった。
身の丈で生きることを10年間意識して、生きてきた結果、
身の丈以上のことを吠え、背伸びして生きる人と話すのが面倒になった。
最近では、「自己啓発系」と呼ばれる人びとなどのことである。


過剰にポジティブ志向なあり方も苦手である。
常にニュートラルに、冷徹に、プラスもマイナスの側面も、見つめていたいと思う。


  ☆   ☆

 
しかし、最近は、「生き延びる」ことでなく「勝つ」ことを意識するようになった。


生き延びるとは、サバイバーであり、苦しかったあの頃の自分を助けたい、というのが、全ての行動のモチベーションである。
マイノリティであるのが強烈なアイデンティティである。


勝つとは、サバイバルは自分の一部でしかなく、得意分野も伸ばしながら、
自分ができる範囲で、人と同じ地平に立ち、
人より優れた成績結果を出す、ということである。
その際、私は社会で生きる多くの
(ある一部では条件が良いかもしれないが、大抵の部分では条件が悪いと感じる)人間の一人に過ぎないと、認めるということである。
凡庸な一人である、と認めたということだ。


人生というゲームのなかで、どのように、創造された世界を、再創造し、活用していくのだろうか。


  ☆   ☆



資本主義ゲームのルールに則り、結果を出す、という意味では、
やはり体育会系の人が最強なのではと思う。



  ☆   ☆


強くなりたいなぁ、と率直に感じる。


体力的に、強くなると、余裕が出る気がする。
電車で人に席を譲りやすいとか。
私なんか、しょっちゅう貧血や腹痛を起こして、よく席を譲られたりしている方なので。


みなさんは、どう思いますか?