コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

ダンスウェアとバイセクシュアリティとパステルカラー

友人のオーラソーマボトルと私の一連のボトルは、
明らかに個性が異なる。
彼女のは純色が多く、私のはパステルカラーが多いという印象を受ける。


……書くのが面倒になった。


「ありのままの自分でいい」とはあまり思えたことがないが、
「ありのままの自分でいい」として、
「ありのままの自分」にも浅いものから深いものまでいろいろある。
「ありのままの自分」の本質は何なのか。


セクシュアリティが自分にとってこんなに大事だとは思ってもみなかった。
セクシュアリティを超えた、人間というところで生きようとしていて、
でも、それだけではあまりに精神的で、
しかし私は男性だとか女性だとかいうところにはどうしてもアイデンティファイ(同一化)できない。
というところに、
インディゴは、「両性具有」である、
と書いてくれて、すごく楽になった。
やはり私のセクシュアリティは、バイセクシャルなのだ。
「人間」とかいうわけわからん抽象的な概念ではなく。


大学の頃から、バイセクシャルだという自覚はあったが、
そんなことは、実存的な悩みに比べ、小さな問題だと思っていた。
が、私の大学生活で、最も真剣に考えブレイクスルーした論文は、
"フェミニズム神学"というカテゴリに入る。
人間のジェンダーアイデンティティについて考察したものだった。
「人間のアイデンティティは性なしでありうるか?」
という問いに対して、
アメリカのフェミニスト哲学者の存在論を分析考察し、
「Yes」と答えた論文である。*1
当時は、「女性」としてではなく「人間」として自分を見ていたし、
「女性」としてではなく「人間」として生きたかった。


バレエのクラスを受けていても、
全然あんなエレガントで女性的な格好をしたいと思わない。
むしろバレエ教師のスペイン人男性の服装に対して「いいなー」と思うのであった。


人生の師として憧れる人には男性が多い。
預言者(男性)、キング牧師(男性)、大統領(男性)。
巫女(女性)。巫女でもいい。巫女は女性というより、両性具有的存在か。預言者もか。


私は男性的な女性? 私は男性? 私は女性的な女性?
私は私?
My identity has been very often in conflict and I really don't know which of them is real Me.


悩みの答えは、いつもヘーゲル弁証法のように現れる。
A or B? どちらを選ぶべきか。
間に立たされ、自分が両極端に引き裂かれそうになる。狂いそうだ。
すると、突然天から降ってきたように啓示が。
そうか、Cなんだ!
人生ってそんな感じであるらしい。


近代史上、最初に自分が「ゲイ」であるとカミングアウトした人、よく知らないが、すごいなあ。
私たちは、外に「自分はゲイだ」と言う人がいるから、「実は私もゲイなんだ」と言えるけど。
私自身は、絶対、最初の一人にはなれない。


バイとかいう言葉/概念があってよかったなあ。
っつか自分でもわけわからないことを、
他人(自分の中の他者;または、自分の理性/意識)が理解できるように死にそうになりながら命賭けて表現して来た人々がある。
死闘に、恐れ入る。


私は、本当に、自分に自信がない。
自信がないから、ありのままの自分を肯定できない。
周りの人のうち、私のしたかったことをしている人がいると、
「ああ、やっぱりそれもありだよね」
「そういうことしても、いいんだよね」と思い。
初めて行動に移せる。


バレエウェア(エレガントと相場が決まっている)には違和感を覚えるくせに、
だからといってエアロビクス・クラスには行かない。
エアロビのクラスには、自分と似たもっと男性的な(?)人がいるかもしれないのに。
私はあくまでバレエとコンテを好み、
あくまで繊細で情緒的で、体育会系ではなく、文化系で、
しかもその中において男性ダンサーの服装に対して「いいなー」ああいう格好したい、と思う。
あーなんて複雑なんだ。(わかってしまえば、難しいことでもなんでもなかった。コロンブスの卵。)


彼の服装が好きなのは、彼が「男性」だから好きなのでなく。
あの生地のあのウェアが好きという、単なるファッションに関する好みの問題なのだな。
 
 
 
 
 


ブログでオーラソーマボトルを友人のと8つ並べて見て、得るものがあった。
(家には1番目と2番目の2つしかない。あの2つにだけ、呼ばれた。)
私は小さい頃から、あかむらさき、うすむらさき、ふかみどり、やまぶきなどの色が大好きで、
純色は苦手で、ハローキティのどこがいいのか全く理解できず。
ランドセルの赤色とか苦痛でした。
今勉強している、インテリアデザインで、
「子供の部屋は明るく元気な色にしよう」とかいう原則については、笑っちゃうし。
(あくまで「原則」で、例外も作れるから、まだいいが。
 私は今、大人だから環境を作れるが、子供には選択の余地がない。
 大人が選んだもののお仕着せ。存外苦痛であろう。)
やはり自分の個性は、優しい、パステルカラーで。
親の反対を押し切ってまでアメリカ留学には行けなかった、
それは私の性格だったからしょうがなかったことなのだ。
と、改めて納得した。
アメリカでやっていけるほど私はagressiveではないのかもしれない。
日本が好きな、アメリカ人とは仲が良いけれど。



思いつくままに書いて、まだほとんど校正してない。
読みにくい文章をここまで読んでくれて、
どうもありがとう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

*1:私は別にフェミニストではない。フェミニストの主張に共感することはあまりない。