コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

島国なる日本

日本人は、当然だが、日本に愛着がある。
日本はいいなあ、
こんないいところは日本にしかないだろう、と言う。


自分のところしか見えてない。
それは日本だけの美質ではない。
そんなのは世界にもたくさんある。
多少、形・表現は違えど。


(同じことを、フランス帝国主義的なフランス人に対しても思う。
 彼らとはあまり縁がない。
 インターナショナルなフランス人とは友達になるが。)




外国の視点から見てみる。
日本は島国なのに、世界的な経済立国と相成った。
こんな小さな島なのに!
日本人はやはり勤勉なのだろう。
結構やるじゃん。

 
 
 
 
 




世界でNo.1になることが偉いのではなく、
文化を問わず、多くの人に好まれる製品を創り出したことが、素晴らしい。
SONYウォークマンや、
日本のアニメなど。


普遍性があるということでしょう。


まあ、普遍性があることが良いことだ、
というグローバリズム的な考え方もまた疑わしいが。


100万部売れる小説が、
3000部売れるコアなマイノリティ小説より、
文学的に優れているか。
多分そうではないだろう。


支持者の数と製品の質は、比例しない。
ポルノグラフィは大量に消費される。
気軽に聞ける耳に心地よいPopsには、売れるためのツボがある。


理解されない局所的なものを、丁寧に探し出し、
洗い出し、並べて描き出す。
そこまでやって初めて、100万の大衆に、
3万人の痛みが理解される。


初まりはたいてい、認識されぬものに、
知の光を照らすことだ。
(いや、原初は、言葉にできない。
 已むに已まれぬ衝動だ。)












たとえば、ファッション雑誌が何十種類ある。
先進国の女性の多くが読み、影響を受け、洋服を購買する。
世界中の先進国で、同じトレンドが走る。
寒気がする。
皆、同じ情報に接している。皆、同じになっていく。



地域性。
文化。
固有のもの。




幸せのかたちは、世界中どこでも似ているようだ。
家庭(温かい戻る場所)があり、おいしいご飯を食べ、家族や友人と語らう。


個人の固有性は、私の想像する以上に、少ないのか?



Almost the same in general,
but things are different in the concrete?