コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

「あなたは私とは違う」

知人がガンだと宣告されたことについて、
うまく共感できない。
大変なのは頭ではわかるが、
私だって自殺未遂するほど苦労したじゃん。
と思ってしまう。
心の余裕がないのだろうか。


ヴォイスヒーラーで、田口ランディ氏の友人でもある
渡邊満喜子さんの
『癒しのスローヴォイス〜声をとおして21世紀の身体性へ』を読み、
非常に大きな気づきがあった。
癒しのスローヴォイス―声をとおして21世紀の身体性へ


私にはやはり世界からdetachする癖がある。
(例えば、村上春樹の描く主人公が常に世界に対して
detachしているように。
村上春樹のみならず、作家は世界に対して
常に一定の距離を取った観察眼が必要で、
それがないと作家は作家たりえない。)
しかし、そういった態度は人を幸せにしない。


私には逆境と闘う人は理解でき共感できても、逆境を抱きしめて苦しむ人は「見慣れぬものを見るような」違和感と共に、理解することができなかったのです。

若かった頃、「まきこさんは臆面もなくキラキラする。あなたのそばにいると私は立つ瀬がない」とある人から言われました。……「そう、私は嫉妬している。無意識に平気でキラキラするあなたに」


元彼に私も言われた。
「キラキラしてる」ところが好きと。
どれほど暗そうに見えても、
私には楽観的な通低音が流れていると。

無条件で愛された人間は「何の根拠もなく」自分はいいものなんだ!と思いこむ。それはほんとうに人間としての「財産」なんだよ、と(夫に言われました)。

前夫は経済的に恵まれた環境に育ち、……現代音楽の演奏会に通い、シュールリアリズムに傾倒していました。……優秀だという折り紙つきの学生時代をすごし、大学に職を得た人が、なぜあんなにも深い絶望感と共に生きていて、自分を愛せなかったのか、当時の私はついに理解できませんでした。

「私は自分に絶望するということを学んだのだ」「そして自分がいかに<自分に絶望する人>に過酷であったかということに気づいたのだ」

うまく言えないが。
2年前、舞踏ダンサーの暗い人たちは、私より暗い人だと思っていた
今は、私と同様の暗い人なのだと思う。
彼らも私と同じなのだ。
人間の暗部ともっと一緒にいられるようになりたい。
そうしてこそ、奥深い、慈愛に満ちた人間でいられると思う。