コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

ガンディー「目的と手段、種と樹のあいだ」

目的と手段のあいだには、種と樹のあいだにあるのと同じ冒しがたい相関関係があるのです。
 ガンディー『海上の垂訓』

英語は、道具であって、目的ではない。
けれど、道具に心がこめられていなければ、道具は人を傷つける。


英語を使って、自分の言いたいことが伝わればいい。
けど、言葉の使い方は、自分の心の表れかもしれない。


私の言葉は、人を癒す音楽になっているだろうか。


このころガンディーは、日ごとヒンドゥー教聖典『バガヴァッド・ギーター』を誦じ、トルストイやソローの著書を愛読し、市民的不服従への信念を強めていた。
 森本達雄『ガンディーとタゴール』(1995)


非暴力運動で知られるガンディーも、20歳で(方々にかけあった末、ついに親代わりの兄が工面してくれた資金で)英国留学した際は、ダンスを習い、大枚10ポンドはたいてイブニングを新調し、身だしなみに凝り、イギリス紳士になろうとした。だが、3ヶ月で愚かな猿まねに気づき、文明社会のスノビズムを卒業した。「自分の性格によって紳士になるのでなければ、紳士になろうなどという野心は抱かぬほうがいい」