コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

女性のパワー 2 〜暴力と資本主義を超えて

大越愛子氏のつづき。


女性は、子供を支配することを通じ、男性の恐れる「女性の暴力」を発動する。
けれども、暴力という世界秩序自体が、男性的な発想だ。


実際は、養育者は、破壊よりもむしろ、
幼な子が、時々刻々と、成長するプロセスを目にし、
その喜びを共に味わい尽くそうとする。


  ☆  ☆


非暴力って難しいな。
私の性格上、攻撃されたら、気にかけないようにする。
けど、結局は、気になるから、胃がぶっ壊れる。
あまりに耐えかねたら、困っていることを伝える。


流せるようになるといい。
流せるとは、私の本質はそこにはないということ。
他に、重要な、やりたい、楽しいことが、
あるということ。


10年前から、「戦わずに生きていきたい」と願っている。
多分、もっとつながりを作っていけるようになればいい。
自分の中を平和で満たせればいい。


どのように平和で満たすか。


会話とは、自分の真理を表わすことだと思ってた。
相手を傷つけるかもしれないことであっても、
(自分にとっての)真実は(曲げずに)伝えたほうがいい。


さいきん、
会話とは、私と相手との間に平和を創ることだ、と思いついた。



  ☆  ☆



そもそも、数多ある世界の事象に、「女性」「男性」というタグをつけること自体、おかしい。
確かに、聖書を読むと、その圧倒的な男性優位の世界観を見せつけられる。
一方で、日本はそれほど、男性優位な世界観かというと、古事記においては、そうでもないと思う。
現代日本社会は、未だにかなり男性優位な世界らしいけど。


働く者が偉いというのは、近代的な資本主義の発想。
それに呑み込まれてる、ほとんど全ての労働者は、そう考えざるを得ない。
そう考えることで、自分の足元が揺らがず、疑いなく、生きていける。
そう考えないと、長時間労働など、馬鹿馬鹿しくてできない。


ギリシャやフランスでは、働かずに生きていけるのがいいよね、という発想がある。
だから、哲学が生まれ、尊ばれ、仕事サボる人が多く、バケーションが長い(らしい)。


支配-被支配の関係から抜け出たとき、人は自由になれる。
たとえ、身体的・物理的には、支配されていようと、こころが自由になった瞬間に、人は変われる。


共産主義が崩壊し、資本主義が立ち行かなくなりつつある現在。どこ行けばいいのか?
シンプルに考えて、共産主義が崩壊したことは、人はムチがないと、サボる存在だということだよね。
働かなくてもそれなりに食べられる環境だと、不正・腐敗がはびこる。
しかしながら、競争に勝った者だけが、食にありつける社会だと、社会がギスギスする。


かんたんに考えて、私という存在が生まれるのに、父と母が必要であったように、
社会がうまく循環するにも、父性的及び母性的な機能が不可欠ではないかと思う。
なので、(中谷巌氏の主張を私なりに曲げて解釈するけど)資本主義に、
共生的な社会保障システムを追加し、折衷するのが、いいのかもと思う。


あまりにわかりやすい、人工的に綺麗すぎる理論
小泉純一郎元首相が提唱したような)は、うさんくさいと思ったほうがいいのかもしれない。
だって、自然界に直線はない。曲線しかないのだ。