コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

一生神について語り、祈りたい。

自分が何をやっているのかわからない。
同時に、自分がやっていることをわかっている。


好きだから、ダンスしている。
けど、どうして、何を、どのように?


占星術の出生チャートで、上半分に天体が多く散らばっている人は、
自分主導の人生、
下半球に星が多く散らばる人は、他人任せの人生。
と、解説書に記述されていた。


それによると、私は後者なのだが。


やりたいことはいろいろある気がするけど、
どうしても、体が動かない、というところに行き着いてしまう。
物理的に。


車イスでも、介助してくれる友達を見つけて、
世界旅行に出かけた人は、すごい。
それって、熱意と、人柄のおかげなんだろうか。


腐るのは簡単だ。


空気を読むのは面倒くさいから、
やっぱり自分が空気を作るのが一番楽だと思う。
空気、作っちゃえ。まきこんじゃえ。


私にはやっぱり神が必要だし。宗教が必要だと思う。


大学生のときの自分の問いに答えたい。
「宗教は弱い人が頼るものなのか?」
「そうだよ。そして、強い人間なんていない。
 強いフリをしている人がいるだけさ」
村上春樹ノルウェイの森』風に答えたいところだが。


少なくとも、守るものがいれば、人は強くなれる。


守りたいのは、ねこ。


ねこと、キミだ。


部屋の隅で膝抱えて、縮こまってる、キミだ。


  ☆  ☆


強い人は、自由な人か?


強い人は、生き延びる人か?


強い人は、適応力のある人か?


キング牧師のような、自由で弁舌巧みな人(どちらかといえば男性と呼ばれる存在)になりたい。
『母の翼』のような、包容力のある優しいお母さんに憧れる。


で、どちらかといえば、前者のほうが、なりやすい。
自身が、神経質で、白黒はっきりしてて、批判力に優れる(?)タイプだから。


キャリアウーマンと、
巫女さんと、どちらも憧れる。


で、どちらかといえば、後者のほうが、なりやすい(かも?)。
体力はないほうだけど、
電波拾って、共鳴して、体調崩して、なんてことは、
本人が考えてる以上によくありそうだ。


職業選択は、選択であるけれど、
職業は灰汁まで需要がないと成り立たないので、選択だけではない。
恋愛も然り。


何になりたいかより、何ができるかであり、何で喜んでもらえるかだ。
(もちろん需要は作りに行くことはできるが、
それは針に糸を通すようなものだったり。
リスクを知って行け)


あるビッグな経営者が、アーティストになりたかったと、言ってた。
経営とアートって相反するものな気がするけど、
それもあり。
というか、諸般の事情により、経営の道を選ばざるを得なかったのかもしれないけど。


何をしたいか、最近よく聞かれるけど!
あまりにもできないことが多すぎて、よくわからない。
どうせできないんだから、考えても無駄だ、ということが、
この10年間多すぎた。


それでも、上を見て、下を見て、どこへ行くか、決めるより、
好きなことをやって、周りに感謝して、
ちゃんと息を吸って、吐いていれば、
道は自ずと、開かれん。
なのかな。


こんな"平凡な"人生を歩むとは、高校生のときは、予測してなかった。
けど、高校生のときより、いろんな存在に対して、愛しむようになった。
平凡になることは、ある意味楽で、風当たりが少ない。
もちろん、今のいじめは悪質だから、目立っていたって平凡だって、何だって、
何かしら理由をつけていじめられる確率は高いわけだけれど。


  ☆  ☆  


現実に、お金が必要だ。


けど、本音は、一生祈っていたい。
多くの人と触れ合いながら、一生神について語り、祈っていたい。


そういった本能から、かけはなれ、一生懸命、在野で修業する。
それが必要だと思うから。


わたしには、あまりないもの。今回の生で、身につけたい。
多分、そう願っているんだろう。


祖父の商魂も受け継いで。