コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

Being Very Liberal and Atheist

どんな価値も、それもありだよね、
と、自分の価値すら、それも一つの選択の余地だよね、
と、
ひたすら、相対化していく、と。
本来で生きる上では、非常に大切な自我にとって、
貴重な私でさえ、「絶対的な」価値を失っていく。


絶対的な相対主義を、Very liberalと呼ぶらしい。
神さえも否定する、無神論者の域。


わたしは、神さまを信じているはずなのに、
どうして、周りには無神論者がこんなに多いのかな、と、
数年来思ってたんだけど(現代において無神論者の数が増加の一途をたどっているという仮説が成り立つかもしれないにしても)、
私は、絶対的な相対主義に陥ってたのかもしれない。


普遍的な相対主義は、「相対主義」という態度さえ、
異なる可能性がある。ことを認める。
つまり、神はいるかもしれない。
伝統的な宗教が指す神は、正しいことも多くあるかもしれない。
そういった可能性について、オープンであることだ。


ああ、それにしても、こんなことすら、全然考えない時期があるのに、
こんなことばかり考える日々があるのも何だか。。。
私のなかには、無神論者も、ニューエイジも、仏教徒も、ヒンズー教徒も、リベラリストも、伝統主義者も、いるのだな。


ここ10年、自分が空っぽな気がする。


空っぽではない、と虚勢を張って生きてる。


でも、自分を生きてこなかったのだから、
しょうがない。
いちから、作っていく。
むしろ、たくさんの失敗が、自分を作ってくれるのだ。


人生は、壮大なひまつぶし。


と、あえて思いたい。


そう思わないと、常に上を見て、勝ち負けが気になる。
「一生負け犬」意識に苛まれる気がしない?