2010-10-05 仏教における諦念と絶対的相対主義と運命主義 philosophy, spirituality はどう異なるのか? 同じでないのか。 諦念が主義化して、 諦念主義、となると、絶対的相対主義になるのか。 そうすると、「人生なんてそんなものさ」と斜に構えた達観した態度は、 仏教における諦念とは異なることになる。 周りの可能性に対して、常に開いていること。 なんだか難しいな。 要は、好奇心を持ってる、ということだな。 人生に対して自分が無力である、という諦念がいつも、 自分の人生の底に流れている気がする。 そんなことも、元気で踊ってるときは、考えもしないわけだが。