コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

「自己実現」って

ほぼ日イトイ新聞 ダーリンコラム「世界の中心」より

だけど、
世界中の人たちの大多数は、
何かの宗教を持って生きているというではないか。
それは、世界中の大多数の人が、
自分ではなく自分の神*1を世界の中心に据えて
人生を送っている
ということでもある。


ということは、自分を中心にして
向上しようとしたり、儲けようとしたり、
幸せになろうとしたり、役に立とうとしたりしているのは、
けっこう少数派の人間たちだということになりそうだ。
ぼくの想像では、つまりそんな
「できもしない、むつかしいこと」は、
世界の大多数の人たちは「ご遠慮もうしあげている」
ということなのではないだろうか。


糸井重里さん(コピーライター)の、
「自分を、どういうふうに高めていくかだとか」の
「自分を中心にした考え方や生き方」についてのコラム。


最近、「自己実現」という言葉がすごくうさんくさいと思うようになった。
たとえば、ベストセラーを出しまくるスピリチュアルヒーラーや
ビジネス界の成功者が、この言葉を多用する。*2


大学生のころは、そして、高校生のころも、
自分の夢を実現するために生きるのが人生だと思っていた。
バリバリ働いて、「自己実現」するんだと思っていた。
けれど、病気になって倒れ、バリバリ働くことはかなわぬ夢となった。
そんな現実を受け入れようと、自分の心のありようを見つめていたら、
「バリバリ」働かなくてもいいか、と思えるようになった。


私には何事か成したいという野心があるけれど、
自分が世界をリードし影響を作るなどと思っている一方で、
毎日の生活もおぼつかない自分がいるわけだ。
洗濯が面倒だったり、寝てばかりで部屋にほこりがたまってきたり、
疲れるとすぐ死にたくなったり、長時間働けなかったり、する。
たいしたことのない自分。
自己評価が低いので、自分の野心に対してものすごくプレッシャーを感じる。
なにかと、押しつぶされてしまう。
あまりに到達目標が高いために、やることが多すぎて、
怠惰で楽観的で好きなことしかしたくないわがままな私は、
面倒になってしまうのだ。
動けなくなってしまう。


大きなことをやろうとして動けなくなってしまうよりは、
自分が達成したいことの85%ぐらいは神さまにおまかせして、
あとの15%ぐらいを自分がちょこちょこやろうじゃないか。
そう思っているぐらいが、私にはちょうどいいのだろう。


野心は、捨てようとは思わない。確かに私の中にあって、強く自己主張してる。
現実のたいしたのことのない自分も、しっかりとここに生きている。
ブルドーザーと、ハツカネズミ、どちらにつこうか私は迷う。
迷って葛藤するのだが。いいや。


どちらも選ばず、神さまにおまかせしよう。
それがいちばん楽で確実な方法である。




    ☆  ☆  ☆



糸井さんは10月10日の川上弘美さんとの対談で、
「自分は恋愛小説が嫌いだ」とおっしゃっていた。
「問題解決型の人間」だから作家になれなかったという。*3


自分と近いものを感じる。
私も恋愛ドラマが苦手である。映画もテレビも、歌も。
なんで世の中はあんなに恋愛についてばかりくりかえし描けるのかねぇ。
生死と並ぶ人類最大のテーマだということは、十分承知しておりますが。*4


「男と女の間には理解できない深い溝がある」とよく言う。
けれど、男と女の間に深い溝があるのではなく、人と人との間に、深い溝がある。
それを認めるのはひどく怖いことだから、
「やっぱり男と女は違うよね」という言葉で片付けようとするのだと思う。
役割に生きれば、自己の深淵を見つめないで済む。
私にとっては、男女の生物学的な違いはO型とA型の違いぐらいの差異でしかない。
個性の違いは、性別の差よりよほど大きいと思う。


そして、社会的な差異(ジェンダー)は、男女お互いが(適切な知識を持ち)
自分と真摯に向き合うことで、乗り越えられることも多い問題だと思う。
役割に生きて幸せな結婚生活を完うする夫婦もたくさんいるだろう。
しかし、現代の夫婦は、役割から降りることで、幸せになれる可能性もたくさん持っている。


もちろん、真摯に向き合っても解決できない問題もものすごくあると思う。
先輩方のお話を伺うと、そういうのへの対処法は、忍耐しかないようだ……。
適当なところで妥協したり、うまく視線をそらしたりできることが、
人間関係のコツのような気がする。
あれ、論点がずれてきた。



    ☆  ☆  ☆



そんなわけで、最近イトイさんの文章に共感した。
引用した文章は、そのまま私の言葉にしてもいいくらいだ。
「世界を救おう」だとかもいいけれど、
世界を救おう運動を始める前に、目の前のお腹をすかせた両親に食事を作ることが先決かな。
世界平和をつくる具体的な運動に加担することは、高校生のころからの夢ではあるのだけれど。

*1:神という呼び名を使うのを避ける日本人の若者になじみやすい言葉でいえば、「自分のもっとも深い心の声」

*2:心理学者が使った本来の意味とはかけ離れた文脈で席巻しているようだ。誤解を招きやすい用語であることは確かだ。

*3:これに対して川上弘美さんが「それは精神が健康なんですよ。文章を書くことって、いいことも嫌なことも全部含めて、意地悪な目で見たりとかしないと書けないので、そのつらさはあるかもしれない」とおっしゃっていたのが新鮮だった。精神が健康だと、明るくシンプルに物事を見るから、作家にはなりにくいのか。

*4:人が踊り続けることについても、人類が最古から営んできた歴史を感じる。