コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

「人間になりたい」が叶ったとき

ダメダメで性格が壊れていたときには、
「(普通の、まともなつまりはそこそこの人徳のある)人間になりたい」
と本気で願っていた。


昨日、起きしなに
自分の腕にふわふわと生える産毛を見て、気づいた。
そうだ、私は動物だ。
ねこだ。鳥だ。空を飛べるのだ。


人間であることにこだわる必要はないのだ。
『いい女』や『いい人間』を目指さなくていい。
なぜなら、わたしが「人間」であることは、
私のone aspectに過ぎないからだ。


そう思えたのは、
ある程度の人格ないし「人間性」を
獲得したということなのだろう。
もはや人を殺したいという衝動を、
意識して抑えなくてよい。
「人間的でない」ことを考える、
無意識の何か、亜空間のようなものに
振り回される瞬間が皆無に等しくなった。
人に迷惑をかけないという、
「人間としてあたりまえ」とされる
基本的な道徳感覚を身につけた。
そういうことだ。


(多分、日常生活で無意識に振り回されなくなったのは、
 瞑想空間で思いっきり宇宙に行っちゃうし、
 踊ることで自分を解放するから。
 広大な虚空の宇宙空間に、漂っている。)


もっと自由に。
遊ぼうね。