コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

太田垣悠@トップランナー

19時からNHK教育の「トップランナー」にコンテンポラリーダンサーの太田垣悠さんが出ていました。


フランス国立リヨンオペラ座バレエ団で、ソリストとして活躍しているそうです。

[詳細] トップランナーフランス国立リヨンオペラ座バレエ団で活躍中のダンサー、太田垣悠を迎える。太田垣は16歳の時にフランスの超難関リヨン・コンセルバトワールに留学し、首席で卒業した。彼女は人と違う動きをしてしまったり、創作を加えてしまうことから、日本にいる間はうまいと褒められたことはほとんどなかったという。だが、フランスで"コンテンポラリー"を学んだことが大きな転機になった。何を表現したいかが問われるコンテンポラリーに自由を感じた太田垣は、その才能を一気に開花させた。既成の枠にとらわれない自由な表現を目指す、太田垣の素顔に迫る。

「ダンスをやっているとこう(と開いた両手の側面をくっつけて)閉じてしまうことが多いんですよ。だから、たとえば、友達としゃべりながら踊るとか、いろんなことをしながら踊るということをするんです」と、即興ダンスのレッスンについて説明していた。


うん、やっぱりそうだと思う。閉じてしまうですよ。心を。興味を。


でも、ダンスを作るのに、閉じることとか、篭ることは必要ないのだな、と思った。
2週間篭ってダンスを作ってみて、そう思った。
集中的にひきこもってダンスを作ったからって、いい作品ができるってわけでもないのね。


むしろ、感情をこめないで、淡々と作ったほうが、やりやすい気がする。


たとえば、坂本龍一のエッセイを読むと、彼は考えずに感覚的に音楽を作っていくようだ。
(というか、クリエイターは、大概感覚的に作るのだろう。)
どんどんいじって、どんどん感覚的につなげていく。
もちろん、批評的に、選別を重ねながら、作るのだけれど。
スタジオにこもって音楽を作る音楽家。


なんだか、私のダンスは、そうじゃないっていうか。
日常の動作とかで構成するのが、すごく好きなのね。
だから、嗜好が、モダンダンスよりもコンテンポラリーダンス寄りになるのだと思う。
今のコンテンポラリーダンスの流れに重なる。


わかってるんだけど、私はアーティストタイプじゃないんですよ。
クリエイターのクリエイションって、考えるより先に体が動く人がやることだと思う。
私は、行動する前に熟考するほうなの。人より時間がかかるタイプ。


なんか文章がまとまりなくて、すんません。


あー、でも太田垣さんの言葉をきいて、元気になった。


・「自分の人生が楽しくて充実していると、それがダンスにも表れると思う」


おー、明るく楽しく生きて、たまに悲劇のダンスも踊ろう。

そして、悲劇を踊るときには、悲しい感情を発するのではなくて、
むしろ無になることが大切みたいだ(これは、ジャン・サスポータスさんに教わりました)。
悲しまなくてもいいみたい。


ひきこもりの子を踊っていて、怒りや悲しみをこめようとして、すげー心臓に負担がかかった。
本当に心臓が痛くなってくるのよ。
もうこれはやりたくないね。


私は、悲しみや怒りを、もはや出さなくてもいいみたい。
ここ何年かは、どんどん出して、過去を浄化する必要があったのだけれど。
深い悲しみや激しい憎しみや怒りは、自分の親しい友達だと思っていたけれど、そうでもないみたい。
今の私の日常は、もっと明るい層にあるようだ。
だって、ひきこもりを踊ってるときだけ、より一層苦しくなるもの。


・「自分の幅を広げたい。引出しが多い人になりたい」


うん、私もそう思うよ。