コンテンポラリーダンスと英語とねことパンの日々
    

創作について

吉本「小説を書く場合には、(略)その小説が自分に対して求めていることにこたえられるか、という部分が合致すれば、絶対大丈夫」
誰かを感動させようとか、こんなのを書いてやれ、なんて思ったら絶対うまく行かない。
「そうすると、何も偶然が起こらない。堅苦しい空間ができて、広がりがなくなっちゃう」
河合「そこには、やっぱり自分の器というものがあって、その器を越えたらだめだしね」


すごくよくわかる。作るということは、自分が内的に求めているものがあり、それにこたえるだけだ。本能的なものに、ついていくだけだ。それが核である。
   1)自発するには、まず準備段階として、私の場合は外側から攻めていく。どのような世界が作りたいか、むしろ作りたくないか。そうして、外側の要らない部分をどんどん削ぎ落としていくと。
   2)無になる。次の瞬間、内発的な動き。
   3)自発したもの。組み合わせて。つながりを作って。世界観。
   4)最後に、部分と全体を調整。
(この場合は振付で感じたこと。そもそも作家は目指していない。新聞やノンフィクションが好きなので、ノンフィクション・フリーライターというか雑用記者を目指していた。けれど、やってみたら、つまらなかった。私にはライターはつとまらないという結果になった。夢って仕事となると意外とシビアだったりするんだね。というか、夢が現実になってもうれしくなかったりする。思いもよらないもののほうがかえってうまく行ったり楽しかったりする。彼氏とか販売業とか!)